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平成時代の大ヒット商品 iモードの新規受付が終了すると発表がありました。
ガラケー(携帯端末)を持つ人も減り、スマホが主流ではしかたのないことでしょう。
携帯端末の開発に多少なり関わった半導体屋の身には、感慨深いニュースでした。
今回は、そんなiモードについての記憶を思いつくままに記録してみます。
お時間があったらお付き合いください。
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お忙しい方は一部だけでもご覧ください。
お忙しい方は、「終わりへ」を「プチ」とすると文末に飛びます。
こんな記事も書いています。
1.iモードサービスとは?
平成(1989年~2019年)は通信機器が目覚ましく発展した時期でもありました。
ポケベルが90年代 高校生に絶大な人気を博したり、PHSなどの新しい通信手段が登場しては消えていきました。
その代表格が1999年2月に始まったNTTドコモのiモードと呼ばれるサービスです。
「話すケータイから使うケータイへ」というキャッチフレーズから分かるように、これまでの通話のみのサービスから、ケータイでインターネットへの接続が出来たり、メールや写メの画像を送ったりできる画期的なサービスとなりました。
その普及はものすごい勢いでした。
1999年12月のNTTiモードによる携帯からのインターネット利用者は367万人でした。
それが4年後の2004年12月には他社(Au,Vodafone)も参入し6780万人に増えました。なんと、18倍です。
そして、今年でちょうど20年。
2019年3月末には18,000万人がスマホか携帯でネット接続をしています。
その数は、人口の1.5倍です。
複数台を利用している人が多いのですね。
とはいえ、
スマホ利用が約60%で、iモードなどの携帯からは16%程度に減少しています。
出典:JEITA 統計資料より
URL:https://www.jeita.or.jp/japanese/stat/cellular/2019/05.html
そうした状況からiモードサービスも終わりを迎えようとしています。
iモードの新規申し込みを2019年9月30日をもって終了するとアナウンスされました。
サービス自体はしばらく続くそうですが2020年には終了とのうわさもあります。
いまスマホを利用している方には、移動端末でメール発信したり、銀行残高を見るのは当たり前のサービスですが、この先駆けとなったiモードは日本が発信した新たなツールとして誇れる素晴らしい開発の1つだと感じています。
一方、日本の携帯はガラパゴス携帯(通称ガラケー)と呼ばれるように、世界展開出来ずに日本独自の技術になってしまった事例でも有名になってしまいました。
お忙しい方へ: 終わりへ
2.開発物語
iモード開発の様子を、まねき猫の視線で振り返ってみます。
まずは、iモードが使える端末の外観を確認しておきましょう。
参照:Wikipedia
これはNEC製のN502iという機種の外観です。
2000年2月に発売し大ヒットしたモデルです。
NECは前モデルの501iから折りたたみ式携帯を発売していて、その後のケータイの基本デザインの参考になりました。
(他社は折りたたみでは無かった)
2000年度グッドデザイン賞も受賞しています。
N502itはカラー液晶を用い256色表示が可能な当時では大型の画面を搭載しています。この後のシリーズでは、カメラ付きも登場します。
iモードサービスをドコモHPから引用します。
ケータイでインターネットを楽しめます。(オリジナルの)メニューサイトやiモード対応ホームページを閲覧したり、メールをしたり、ニュースなどの情報を得たり、音楽やゲームなどのコンテンツをダウンロードすることができます。
メインメニューの階層はこんな感じです。
メールの文字は3段階で設定可能
こうした画面の大型化は、スマホに引き継がれていきました。
リクルートからスカウトされた松永真理
松永のリクルート時代の知人でネットベンチャー会社から引き抜かれた夏野剛
そして、ドコモの栃木支店長からPjリーダーとなった榎啓一
の3人が「iモードの生みの親」と言われます。
3人ともiモードで本を書いています。
すでに絶版ですが、中古本はまだ手に入りますし、kindle版も出ています。
興味のある方は読んでみてください。面白いです。
松永さんは読売新聞にも寄稿しています。
2017年2月6日(月)から25回に渡って「時代の証言者」というお題で、iモードとの関わりと自身のビジネスライフについて書かれています。
さすがにリクルート出身です。
文章がお上手です。
この記事は読売の記事データベースでも読めますが、有料でした(^_^;)
当時の新聞記事のストックがこれです。
参照:読売新聞 2017年2月6日朝刊8面
何かその代わりになるものが無いか探し見つけたのがこちらサンケイビズの記事です。
ちょうど3人の顔も掲載されています。
文中に3人が集まった時の状況がうまく表現されています。
この記事のp.2から引用します。
「松永さんはとらばーゆの編集長を終えてウェイティング(待ち)だった。絶頂期ならきてくれなかった。夏野さんも自身の会社がつぶれる寸前。運、人との出会いがよかった」と榎は言う。夏野は米国で生まれたばかりのインターネットに精通してはいたが、立ち上げたベンチャー企業では経営に行き詰まっていた。松永は「語感」や情報の価値を見極めるプロだが、ネットはからきしの「アナログ人間」だった。
成功するプロジェクトの人がつながる「えにし」は不思議ですね~( ^o^)
OSはインターネット標準を採用
海外がWAP/HDMLのような携帯電話向けの独自規格採用に動いていましたが、NTTはパソコン向けインターネットで標準的に利用されていたHTTPやHTMLといった技術を採用しました。
提供者側の負担が少なく容易にiモード対応サイトを構築することができました。
とはいえ、画面の制限と計算処理能力の低いCPUでコンテンツが表示できるよう仕様は縮小したCompact HTMLが用いられました。
そのため、パソコン向けのページでは表示できないこともありました。
この技術は、社外のACCESS社が開発したもので、Compact NetFront Browserと呼ばれるものを携帯のCPUでも動くようにしたものでした。
1997年7月にNTTとACCESS社はこの技術で手を組びました。
コンテンツの基本仕様が固まったことで、次は携帯本体の青写真が描かれることになりました。
携帯本体の開発
始めに呼ばれたのはNECと松下通工でした。
通信方式はDoPaの「シングルスロット」9600bpsでインタネットに接続することに決まっていました。そのため、DoPa対応の携帯電話機を製造していた松下通工とNECに声がかかったのは自然の成り行きでしょう。
とはいえ、松下もNECも競争相手がだれかは伝えられていません。
それぞれに、ブレッドボードと呼ばれる試作機を作成し、サーバーとの交換対抗試験をしたいとNTTから打診を受けます。
開発打診を受けたのは、1997年8月。
その翌年の6月には対抗試験をやりたいと打診を受けました。
開発スケジュール。線表と呼ばれるもの。
出典:iモードと呼ばれる前ー日経エレクトロニクス2002年10月7日号 p.199
しかし、開発は難航を極め遅れに遅れます。
出典:iモードと呼ばれる前ー日経エレクトロニクス2002年10月23日号 p.172
この写真では大きさが分からないと思いますので、もう一枚
出典:同上 p.171より
たぶん、30×30cm以上はあろうかという大きいものでした。
不安になったNTTは
富士通と三菱にも声をかけました。
1998年8月、ようやく松下が対抗試験の一番乗りに成功にこぎつけた。
松下は、ACCESSのブラウザに見切りをつけ、独自ブラウザで開発を進めていました。
こうした状況にNTTは1998年12月の発売をあきらめました。
ようやく各社の携帯の出荷体制も整い、発売は1992年2月となりました。
広末涼子をCMに採用し大々的な発表会が行われました。
出典:NTTドコモ HP 広告
忙しい方へ: 終わりへ
3.半導体も小型化
携帯電話の登場は、1987年4月に遡ります。
TZ-802型と呼ばれ、重さは900g、体積は500CC、通話時間は60分、待ち受け時間はなんと6時間しか持たない代物でした。
参照:NTTHP
URL:主要展示物のご紹介|携帯電話|NTTドコモ歴史展示スクエア
2002年11月に発売されたiモードの第4世代の松下通工のP504iSと比べてみると、
重量は110gと約90%減、体積は94CCで約80%減、連続待受時間は550時間となんと約92倍に伸びています。
参照:Wikipedia
こうした小型化に貢献したのが、半導体です。
当時、半導体の開発に関わっていて小型化が性能と共に重要課題でした。
みなさんがよく知っている半導体はゲジゲジ虫のような頑丈なモノを想像されるかもしれません。
こうした外形は、DIPタイプと呼ばれるものでブラウン管TV時代にはよく利用されました。
しかし、携帯電話に利用する半導体ICは、より小型のものが求められ、iモード開発時点ではLQFPと呼ばれる外形の半導体でした。
しかし、カメラがついたり、お財布携帯になったり、ワンセグのTVなどが着くようになると、こうした機能を搭載するために、半導体や部品の小型化が携帯開発側から求められた。実際性能が大体同じなら小さい方が採用されるシーンも多く経験しています。
たとえば、ピン数が48で4方向に端子が出ている外形をLQFP48pinと言います。
このLQFPpinだと、12×12×2.2mmの大きさで体積が0.3ccとなります。
一方、より小型の構造と言うことで我々が先行開発したのがVQFNと呼ぶ構造です。
VQFN48pinは、7×7×1.5mmの大きさで体積が0.074ccと体積80%減を実現しました。
リードの間隔も0.8mmから0.4mmと半分に縮めています。
しかもリードレスです。
高周波の電波を扱う携帯電話にも有利な構造でした。
ただ、これだけ小さくなると、中に入っている半導体Chipと周りを覆う樹脂の厚さも皮一枚程度という感じです。
半導体は携帯電話の組み立て工程で、基板と半導体を半田のペーストを高温(ピークで235度くらい)で溶かして接続する工程があります。
そのため、半導体の中に水分が入っていると気化して樹脂にヒビが入ったりします。
こうなると故障し動作しなくなったり、動作寿命が短くなります。
そのため、水分が入っても、ヒビ(剥離)が出ないように樹脂やリードとChipの密着性をどうよくするかが各社の知恵の出し所となります。
リード面をクルミの粉を吹き付けて荒くして密着度を上げるとか、アンカーと呼ばれる杭に似た構造を取り入れてはがれにくくしました。
そして薄く小さな半導体は、生鮮食品並みの管理をしていました。
最近の小型半導体は「生もの」とよく呼んでいます。
半導体組み立て最終工程の特性検査や外観検査が終了したら、一度半導体を高温で焼いて水分を抜き、すぐに防湿のアルミでラミネートされたフィルムに吸湿剤など入れてシールします。
こうすることで、水分浸入を防いでお客様にお届けしています。
使用するお客さまにも使用期限を1年以内と賞味期限がつくのも食品並みですね( ^o^)
忙しい方へ: 終わりへ
4.ガラパゴスと呼ばれ
2018年の移動体通信におけるOSシェアは、
Android 40%
iOS(iPhone) 35%
フーチャーホン 18%
参照:MMD研究所調査
スマホ利用率、AndroidがiPhoneを上回る:MMD調査 - Engadget 日本版
とiモードなどの携帯電話のシェアはさんざんな状況です。
こうした状況は2つの事象から生まれました。
皆さんも置くご存じのことです。
1つは、
07年1月、米アップルが新型端末「iPhone(アイフォーン)」を発表。
もう1つは、
08年9月にGoogleが「アンドロイド」OSをリリース。
この2つの結果、国内の販売は劇的に変化しました。
参照:JEITA 統計資料より
当時Googleは、新しい携帯電話の基本ソフト開発への参加をNTTドコモなどに働きかけていました。Googleもiモードの先進性を高く評価していたのです。
しかし、国内の携帯キャリアメーカーはそれに積極的に参加しなかった。
キャリアとしてのビジネスモデルを維持しようとしたことが災いしたとも言われます。
過去の成功は、未来への足かせになるのは世の常なのでしょうか?
夏野さんは参加すべきとドコモ本社を説得しようと努力しましたが叶いませんでした。
そして、iモードは世界標準になれず、ガラパゴス携帯と呼ばれるようになりました。
アップルペイに代表される電子決済や
絵文字は世界が認める「emoji」となってニューヨーク近代美術館にも所蔵品として加わりました。
Lineのスタンプにも応用されています。
参照:読売新聞 2017年 時代の証言者 No.10より
課金制度は、アプリのプラットホームビジネスの可能性を増やし
写真を送れる機能は、いまやInstagramの興隆の先見でしょう。
一橋大大学院国際企業戦略研究科の楠木建教授は、こう語ったと言います。
「iモードがなければスマホの登場は遅れていた。
間違いなくイノベーションといえる。
日本からそういうものが出たことを言祝(ことほ)ぐべきだ」と
新たな日本初のイノベーションが生まれ育ちいく世界を願いたいものです。
6000文字を超えてしまいました。
この辺りで止めておきます。
忙しい方へ: 終わりへ
5.まとめ
「話すケータイから使うケータイへ」というキャッチフレーズでヒット
iモードの新規受付申し込みを2019年9月30日をもって終了
サービス自体も2020年には終了とのうわさがある
平成時代の代表的な革新的技術が幕を閉じるが、お世話になったことに感謝します。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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