ブログにお越しいただきありがとうございます。
今年、平成が終わりますね。
そして、新たな元号が4月から始まります。
そこで、昭和から平成をテレビゲーム機の進化を例に振り返ってみたいと思います。
平成という時代の記録の1つとして刻んでみたいと思います。
ご興味のある方は、お付き合いいただけると幸いです。
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お忙しい方は一部だけでもご覧ください。
お忙しい方は、「終わりへ」を「プチ」とすると文末に飛びます。
1.昭和の終わりは、ゲームの黎明期
60代以上の方なら、よくご存じのテレビゲームがあります。
それは、「スペースインベーダー」ゲームです。
タイトーが、昭和53年(1978年)に出したシューティングゲームです。
ご覧のように、テーブル形をしたゲーム台に座って、出てくるエイリアンと弾を撃ち合って戦うゲームとなっています。
敵という今では当たり前の概念を持ち込んだ初期の作品です。
大ブームになりました。
当時は、ゲームセンターなどありませんでした。
主に喫茶店に置いてあったので、100玉をたくさん握りしめて通ったものでした(^_^;)
そして、こうしたゲーム文化が定着してくると、家庭でもやりたい欲求が高まります。
ヒットの臭いをかぎつけたメーカー各社が、ゲーム機を次々と発売し始めました。
家庭用テレビゲーム機は、日本では昭和56年(1981年)頃から発売が本格化しました。
そして、
昭和58年(1983年)に任天堂が発売した「ファミリーコンピュータ」(以下:ファミコン)が最も多く売れて日本における家庭用ゲーム機の「代名詞」になりました。
出典:任天堂HPより
一覧表からわかるように、発売時のファミコンは、「独占的な先行者」というより「競争市場の後発組のひとり」でした。
しかし、13機種が入り乱れる状況を制し、家庭用ゲーム機の「代名詞」と言われるデファクト・スタンダードの座を勝ち取りました。
注:デファクトスタンダードとは、「事実上の標準」を指す用語。標準化機関が定めていないものの市場競争の結果、スタンダードになった規格を言う。
その要因は、
1.良質なソフト供給
2.ハードの性能
3.低価格
といわれています。
発売2ヶ月で、国内シェアの33%を獲得しました。
昭和62年(1987年)末時点で累計1000万台を突破し戦国時代のようなテレビゲーム市場を席巻しました。
ちなみに、累計生産台数1902万台を売り上げています。
「あ~、あの時任天堂の株を買っておけば今頃は」、と悔やんでおります。
お忙しい方へ: 終わりへ
2.ゲームの成長期と平成が重なる
昭和の後半から平成の半ばまでのゲーム機の世代交代をグラフにしてみました。
縦軸は、累積の販売台数を示します。
たとえば、ファミコンであれば、昭和58年(1983年)の発売開始から平成8年(1996年)までに1902万台を売った推移が読み取れます。
任天堂は、第1世代のファミコンの勢いを保ったまま、第2世代もスーパーファミコン(以後:スーパーFC)で首位を勝ち取りました。
といっても、この第2世代の競争も熾烈でした。
下の一覧の通り、ゲーム機の売れ行きを見て、各社が次のデファクトスタンダードを目指して新しいゲーム機を発売してきました。
スーパーFCは、構想発表から2年経過した平成2年(1990年)11月に発売されたゲーム機です。
まさに平成のスタートを象徴する代表的なゲーム機です。
発売日に30万台を売り切り、1年間で400万台以上を販売し短期間に第2世代のデファクトスタンダードを獲得しています。
累計生産台数は、1714万台となっています。
出典:任天堂HPより
スーパーFCは、ライバルから大きく遅れての発売でした。
背景にはファミコンがまだ売れていたということと性能改良に時間を要したようです。
性能実現のために、任天堂はソニーと手を組みました。
ソニーの技術力がスーパーFCを完成させ、成功した要因の1つとなっています。
そして、第3世代に突入します。
この第3世代では、任天堂とソニーは開発の考え方の行き違いもあり、協力関係を解消しました。
それが、ソニーのプレイステーション(以後:プレステ)の発売に繋がりました。
この第3世代の競争時期は、ゲーム機の最も売れた頃です。
平成8年(1996年)は年間918万台ものゲーム機が売れています。
プレイステーション(以後PS)とセガサターンが激しくデファクトスタンダードを争った結果でしょう。
値下げ競争もありましたが、人気ソフト「ファイナルファンタジーⅦ」と、「ドラゴンクエストⅦ」が、プレステで発売されたことになり、プレステが優位となりました。
CPUが32Bit機の争いでは、キラーソフトの動向がデファクト機を決定しました。
また、第3世代は、発売時期が平成6年(1994年)後半に集中した点が特徴的です。
この頃から、次世代ゲーム機は5年ごとに入れ変わるというジンクスがありました。
PSは、平成16年(2004年)度末累計生産台数 1937万台となっています。
出典:プレイステーションHPより
昭和58年(1983年)のファミコンの発売時期から、平成30年(2018年)までの据え置き型の家庭用テレビゲーム機の販売台数の推移をまとめてみました。
赤線が年間の販売台数の推移です。
青地が、傾向を見るための3次多項式による近似曲線です。
平成8年(1996年)の爆発的に売れた年以降は、徐々に販売台数が減っている様子がうかがえます。
忙しい方へ: 終わりへ
3.S字カーブから世代交代を俯瞰する
ご覧の通り家庭用テレビゲーム機の販売台数推移は低下傾向にあります。
しかし、ゲーム市場が低迷している訳ではありません。
おわかりのように、最近はオンラインゲームが好調です。
スマホやタブレットなどを利用したオンラインプラットフォームが伸びています。
ゲーム機の市場は、以下のような4つの大きな市場(セグメント)から出来ています。
これまで主流だった据え置き型のゲーム機は縮小し、その分汎用型のスマホなどを用いた汎用ソフトの市場が増えているのです。
今後、据え置き型の家庭用テレビゲーム機は無くなるのでしょうか?
市場の主役が逆転したスマートフォンゲームと家庭用ゲームですが、今後その流れが加速するかはまだ不透明です。
たとえば、任天堂は、据え置き型でもない携帯も可能なゲーム機として「「 Nintendo Switch」を2017年3月3日に発売しました。
「Nintendo Switch™」は、プレイシーンにあわせてカタチを変えるゲーム機です。
TVモード、テーブルモード、携帯モードの3つのプレイシーンを選べます。
2017年には341万台を売り上げました。2018年も330万台と好調な売れ行きを示しています。
出典:任天堂 HPから
こうした新しい技術への転換をS字カーブを使って説明することが多いです。
これは音楽ソフトの事例です。よくご存じかと思います。
音楽の提供は、レコードが長く中心的な役割を担っていました。
もちろん、現在もマニアの間ではアナログ音源としてレコードが愛好されています。
しかし、中心的な販売は、CDに置き換わりました。
そして、そのCDもすでにネット配信に変わろうとしています。
こうした点は、音楽とゲームの市場変化はとてもよく似ています。
ゲームという娯楽が今後、技術革新でどう変わっていくか興味深いモノがあります。
バーチャル・リアリティー(VR)技術や
格調現実(AR)の進歩、
さらには、人工知能(AI)技術を搭載したゲームなど
これらがどうなっていくのか想像することは楽しいことです。
また、e-スポーツのような新しいカテゴリーも花開こうとしています。
新しい元号が、技術の進歩と共に良い意味で刻まれることを願っています。
忙しい方へ: 終わりへ
4.まとめ
・昭和の終わりから平成にかけて
テレビゲームが1つの文化として成長した
・家庭用据え置き型のテレビゲームは
衰退期に入ったのかもしれない
・S字カーブに従えば、今の技術の衰退期に、
未来の萌芽が立ち上がっているはず
・新元号が技術の進化と共に刻まれることを願う
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